裏のまた裏話

レギュラーへの旅路の終着点 寺内崇幸選手

どもども。

今回は地味ながらも由伸監督の信頼厚いあの内野手について書いていこうかと思います。

 

あ、もちろん中井じゃないですよ

中井は意味もなく使われ過ぎで地味じゃねえもん。

 

今回語るのは背番号00の寺内崇幸選手。

 栃木工業高校からJR東日本に入り、2006年の大学生・社会人ドラフト6巡目で指名され巨人に入団。

2006年のドラフトといえば、高校生ドラフトで坂本選手の指名もありました。

 

プロでのキャリアも今年で11年目。5月には34歳となりました。すっかりベテランとなった寺内選手のこれまでだとか、僕が思っていることを書いていきます。

 

内野のレギュラー獲りを目指し入団

寺内選手が指名された2006年のドラフトにおいて、巨人は寺内選手の他にも坂本、円谷(現三軍コーチ)と3人の遊撃手を指名。

遊撃手というのは野球において特に重要なポジションで、運動能力の高い選手が任されます。だからアマチュアで遊撃手を務めていた選手を獲得して、他のポジションにコンバートするというパターンも多いです。

 

巨人も3人の遊撃手全員がレギュラーになることを期待していたわけではないでしょう。いや、3人のうち誰かがショートのレギュラーになってほしいとは思っていたでしょうけど、ショートに限らず他のポジションで期待していた面もあったはずです。

2006年の巨人の内野陣を見てみると、一塁に30歳助っ人の李承燁、二塁はなかなかレギュラーが定まらず1年目の脇谷など、三塁は35歳の小久保、遊撃は30歳の二岡という状態。

 

この年のオフに小久保は古巣のソフトバンクに復帰。巨人は日本ハムから小笠原を獲得するわけですが、どちらにせよ二塁にレギュラーが定まらず、他のポジションも近いうちに世代交代が必要になる状態。そこで3人の遊撃手を指名しました。

 

今でこそサブプレイヤーとしてベンチからチームに貢献する寺内選手ですが、当初はチームにとっても本人にとってもレギュラーを掴むことが理想でした。

というかサブプレイヤーは絶対にチームに必要ですし、レギュラーを掴めないとしても腐らずにそれで生きるのも1つの選択肢ですが、入団からサブプレイヤーを目指しているようでは志が低いと言わざるをえません。「志の低い人間は、それよりさらに低い実績しか挙げられない」とも言いますしね。寺内選手が入団した当時に脅威だった中日・落合監督の言葉ですが、秋田県民としてやはり落合は尊敬してしまうのです。

まあ、当面の目標が支配下登録される(一軍に出る最低限の権利を得る)ことである育成選手なら一芸を磨いてサブプレイヤーとしての可能性にかけるのもわからなくはないですが、寺内選手は分離ドラフトで下位指名とはいえ支配下選手。当然目指すはレギュラーです。そう考えると巨人がドラフト2位で獲得した重信選手を鈴木尚広氏の後継者というサブプレイヤーの極みにしようとしているのがありえない話だと思うのですが、それはまた後で…。

 

二塁手の定位置獲得を目指した30歳まで

社会人出身ということで寺内選手には即戦力としての期待もあったでしょうが、1年目の2007年は一軍出場なし。

この年の巨人は優勝を果たし、小笠原、李承燁、二岡と内野陣も安定。二塁はやはりレギュラーが決まりませんでしたが、脇谷や木村拓也、古城と内野の人材はいたので寺内選手に頼らなければならない状況でもありませんでした。寺内選手はこの年、二軍で鍛錬に励むことになりました。

 

一軍出場を果たしたのは2年目の2008年。この年は62試合に出場し、80打席と打席数は多くありませんでしたが、打率.301をマークします。3年目以降のレギュラー獲りへ向け、地盤固めの1年となりました。

 

しかし、この年には寺内選手にとって都合の良くないことが起こってしまいます。それは同期で入団した高卒2年目・坂本選手のレギュラー定着。

実力、ポテンシャル、若さと全てにおいて上回る坂本選手がショートのレギュラーに定まってしまったのでは、寺内選手がそこに割って入るのはあまりに厳しい。

一塁や三塁のレギュラーとしては長打力が物足りないですし、レギュラーを狙うならば二塁しかなくなってしまった。寺内選手の最大のアドバンテージはプロでもショートを任せられる守備だったわけですから、定位置獲得を目指す上では大きな逆風となりました。

 

翌2009年は中日の左腕エース・チェン投手(現マイアミ・マーリンズ)から初本塁打を放つ場面もありましたが、打率.167と低迷。前年より多い78試合に出場して優勝に貢献しましたが、古城、木村拓也、脇谷といった他の二塁手候補の選手たちに比べると遅れをとってしまいました。

さらに4年目の2010年は木村拓也の引退というチャンスもあったものの、二塁手候補としてエドガーが入団したことや、脇谷選手が規定打席に到達したこともあり出番が減少。31試合の出場で無安打に終わりました。

 

それでも2011年は脇谷選手など内野陣に故障者が出た上に、一塁に回った小笠原選手に代わる三塁手候補のライアルなどが不調だったこともあり、出番を増やします。

打率.178で19安打5四死球に対し三振は26と打撃が大きな課題でしたが、73試合128打席と出番を増やして一軍でのレギュラー獲得へ前進したシーズンと言えます。

この年には坂本選手より1つ年下である藤村選手が二塁手として盗塁王を獲得していましたが、寺内選手も28歳とちょうど脂がのる時期。レギュラー獲りは諦めていませんでした。

 

6年目の2012年、寺内選手は開幕戦に「8番二塁手」として出場。初の開幕スタメンでした。

シーズン中は藤村選手との併用になりましたが、自己最多の103試合に出場し打率も.241と向上。チームも3年ぶりに優勝を果たす嬉しいシーズンでした。

CSでは2位の中日に初戦から3連敗して危うく日本シリーズ進出を逃すところまで追い込まれますが、そこから3連勝で大逆転。寺内選手は日本シリーズ進出を決めた第6戦にスタメン出場して先制の2点タイムリー。勝利打点を叩きだしました。

 

勢いに乗る寺内選手は続く2013年も活躍。自己最多だった前年を上回る114試合に出場。オールスター直前で中日のルナ選手が故障したこともあり、オールスター出場も果たしました。

ポストシーズンでは今やメジャーリーガーの広島・前田健太楽天田中将大という2人のスーパーエースからホームラン。日本シリーズ二塁手としてマークした28捕殺はシリーズタイ記録とのことで、この年の巨人の二塁手としてトップクラスの実力を示しました。

この年の寺内選手といえば、ポストシーズンのホームランの他にこのプレーも印象深いですね(YouTubeへのリンク貼るけど大丈夫かな? 動画の27秒くらいからがそのプレーです。指摘あれば消します)。

https://www.youtube.com/watch?v=9OWTUnAyd2U

 

それでも、彼の最大の課題である打撃はやはり改善されず。打率は.225で、出塁率長打率も物足りずOPSは.544という成績。チームトップの二塁手がこの有様ではチームとしても補強に踏み切らざるをえません。

この年のオフ、西武から片岡選手、中日から井端選手(現一軍コーチ)が加入。

特に30代となった寺内選手にとって、歳が1つしか違わず4年連続盗塁王を獲得したこともある片岡選手の加入はレギュラー獲りの終焉を意味するものでした。

 

レギュラーから遠ざかる原政権末期

悪いことというのは重なるもので、片岡、井端と2人の二塁手候補が加入したこの年、寺内選手はキャンプ中に右肩痛で出遅れます。

二軍で実戦復帰を果たすも、4月下旬には肉離れ。最終的にこのシーズンは40試合の出場に終わりました。この低迷は寺内選手のプロ野球人生を決定づけたと言えるでしょう(元々サブプレイヤー気味ではあったのですが…)。

 

2015年はさらに前年を下回る31試合の出場。これまた中日から加入した吉川大幾選手に押されたというのもあります。

そしてこの年のオフ、入団から一軍監督を務めていた原辰徳氏が勇退。新たにこの年まで同僚だった高橋由伸新監督が就任します。

 

由伸監督の信頼厚い寺内選手 その理由は?

由伸新監督の元、2016年は55試合に出場し3年ぶりに50試合以上に出場。

CSの際にはこの年、二塁のレギュラーを務めていたクルーズ選手が抹消されるという一幕もありましたが、その代わりとして初戦にスタメン出場。ルーキーで打撃では上の山本選手の起用が予想されていましたが、由伸監督の信頼が厚いことをうかがわせる起用でした(2戦目と3戦目は山本選手がスタメン)。

 

今年、2017年も常に一軍で起用されるあたり由伸監督の信頼は不変。原政権末期にはレギュラーから遠ざかるどころかサブプレイヤーとしても出場機会が減っていた寺内選手でしたが、再び渋い輝きを放っている理由とは何でしょう。

僕の意見は、高い守備力と豊富な経験を持ち合わせているということです。

 

まず守備力においては、ショートを守れるということが大きなアドバンテージです。

重要なショートというポジションを守るには、高い身体能力と守備技術が要求されます。プロになる選手はみなアマチュア球界を代表する身体能力と技術を持った選手ですが、その中でもさらにトップクラスの選手しか務められないポジションなのです。

ショートからのコンバートが多いのは、ショートができる選手なら他のポジションもできるということもありますが、ショートを守ることがそれだけ難しいということでもあります。ヤクルト山田選手、西武浅村選手、巨人の陽岱鋼選手と、アマチュアではショートを務めながらコンバートされた選手は多いです。

 

だから寺内選手の守備は信頼を得るに値するものと言えます。巨人の一軍でショートとして一軍出場したことのある選手は坂本選手と寺内選手しかいませんしね(それはそれで極端な話かもしれませんが)。

 

それでも守備だけであれば、寺内選手以外の人材が巨人にいないわけではありません。

上で出て来た吉川大幾選手は寺内選手の代わりであれば今すぐにでもできる人材でしょうし、先日支配下登録された増田選手も守備で勝負できる選手。

それでも彼らでなく寺内選手が起用されるのは、積んできた経験が信頼されているからでしょう。

 

吉川大幾選手や増田選手はこれから経験を積んでいく選手。20代の頃の寺内選手がそうであったように、目指すところはサブプレイヤーではなく、レギュラーです。

寺内選手が一軍で出番を得ていたように一軍で経験を積めれば理想的ですが、今の巨人には小笠原もラミレスもいません。なかなか若手に経験を積ます余裕はないのです。

だから増田選手たちは二軍から虎視眈々と一軍を狙う。その方が一軍でベンチにいるよりも多くの打席、実戦経験を積めますからね。経験ある寺内選手が一軍に控えることは二軍での育成にも繋がります。

 

さらに寺内選手は経験を積んできたから、周囲から「堅実な守備のスーパーサブ」というイメージが定着している。

注目度の高いプロの世界において、周りからの評価は大切なこと。

例えば接戦の試合終盤に寺内選手がエラーをして敗戦に繋がってしまったとして、間違いなくバッシングにはさらされるでしょうが、「弘法にも筆の誤り」と言いますか、誰にでもミスはあるということで信頼はそうそう変わりません。

一方、まだイメージの定着していない若手が同じ状況になった場合、普段のその選手を知らないファンからすれば「ここぞで信頼できない選手」というイメージが定着してしまいかねません。実績を積まなければならない若手がそうなってしまうのは精神的ダメージも大きいでしょうし、後に引きずってしまえば本当にここぞで信頼できない選手になりかねません。

ただ守るだけ…といえば守備固めは簡単そうに思える仕事ですが、そのようなリスク、プレッシャーがあって、試合感覚を掴むのも大変な難しい仕事だと思います。そう考えたら寺内選手に任せるのも自然です。これまで多くの試合に出場してきて、ミスした後の切り替えというのも若手以上に身についているでしょうしね。

 

このような理由があって、由伸監督も寺内選手を厚く信頼しているのでしょう。打撃は水物、若手はここ一番でのメンタルに不安ありとなれば、守れて経験値の高い寺内選手は安心して起用できる選手のはず。引退してすぐ監督に就任した由伸監督からすれば、不安なく手堅くやっていきたいという気持ちもあるでしょうし、そのために寺内選手はちょうど良い選手なのです。

 

チームを強化する「厚い壁」として生き残りを

そんな寺内選手、打撃は相変わらずで94試合を消化した現在でもわずか2安打という成績(もちろん打席数の少なさもありますが)。

それでも、昨日の試合では右中間へ三塁打を放ち、今季初の二桁得点に貢献しました。寺内選手の応援歌に「誰も追えぬ右中間」とあって、大して右中間に打たないよなあといつも思っているのですが、昨日は珍しく打ちました。三塁打というのがまた「誰も追えぬ」感じがあって良いですね。

 

その前の日曜日のDeNA戦では4回から退いた坂本選手に代わってショートとして出場。チャンスで飯塚投手と対戦しますが凡退、最終回には代打を出されてしまう場面もありましたから、巻き返すことができました。

 

今回寺内選手について書こうと思ったのも、プロ初勝利を目指す高卒3年目の飯塚投手と若手から突き上げられつつも生き残りを目指す寺内選手の対比がいいなあと思ったからなのです。

飯塚投手はこれから二桁勝利するような主力になるかもしれない選手。一方の寺内選手はレギュラーの道を閉ざされたベテラン。それでも上回ったのはベテランの意地だった…ということはなく、未来ある飯塚投手が勝利。それが経験以上に実力と才能がモノを言うプロの世界というものであり、打力が原因でレギュラーへの道を閉ざされた寺内選手が簡単に打つほど甘くないのです。

 

そんな世界でも寺内選手が生き残ってきたのは、得意の守備という一芸と、レギュラーを目指して積み重ねてきた経験があるから。代走の切り札として昨年引退した鈴木尚広氏についても同じことが言えます。どんな偉大なサブプレイヤーも、レギュラーを目指して進んでいた過去があるはずです。

だから重信選手を鈴木氏みたいな使い方するのはやめてくれと改めて言いたいんですけどね。

 

ともかく、DeNAで飯塚投手が台頭してきたように、巨人でも増田が支配下登録されて足場が揺らいでいる状態。

それでもまだ老け込まず頑張ってほしいと思うのです。エース級の投手からホームランを打つ意外性を始めとして印象的なプレーもありますし、捕手の練習もするフォアザチームの精神、あと割とイケメンなところとか、まあ愛着のある選手ですから。

 

かつて寺内選手のライバルに古城茂幸選手がいましたけど、彼は巨人の後輩にとっては「」でした。

規定打席に達したこともないし、決して高い壁ではありません。それでも、周りから厚く信頼されるプレーができて、なかなか越えられない「厚い壁」でした。

その古城選手が引退したのは寺内選手が最も輝いた年と言える2013年。寺内選手が「厚い壁」を越えた年でした。

 

「壁」が厚いほど、それを超える選手の実力も上がります。寺内選手が一軍で存在感を示せば示すほど、チーム強化にも繋がるはずなのです。

古城選手ほどは打たない寺内選手ですが、37歳までプレーした古城選手のように、まだまだあらゆる意味でチームのために活躍してほしいと思います。

 

 

それでは、今回はこのへんで。

また次回!