裏のまた裏話

野球の神様が巨人の歴史に名を刻んだ男たちを振り返る

どもども。

毎日更新できるよう企画まで用意したのに更新が止まるという。まあマイペースでやるものなので、更新したい時に更新していきます。

 

今回は「野球の歴史に名を刻む仕事」をしている野球の神様がいたら…という話。

たぶん、神様もどの球団の担当が誰とか決まってると思うんですよ。僕は巨人ファンなので、巨人担当の野球の神様がどんな仕事をしてきたかということにフォーカスしてみたいと思います。

 

神様が歴史に名を刻んで(刻ませて)きた選手たちが、どんな選手だったかを簡単に振り返りつつ(基本的にソースはWikipedia)、そんな選手への僕の思いを書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

巨人担当の野球の神様にとって、最初の問題は「誰に球団1号の本塁打を記録させるか」ということだった。

野球といえば本塁打。これからプロ野球界に華々しい記録を刻み続ける予定の巨人にとって、本塁打は重要なファクターとなる。だから永遠に残ることになる球団の第1号本塁打はそれだけの実力を持つ者の名前を刻みたい。

 

そんな中で野球の神様の目に留まったのが中島治康外野手だった。1934年に大日本東京野球倶楽部に入団した彼は1936年のリーグ戦開始時から巨人でプレーしていた。

そのたぐいまれなパワーと強肩が野球の神様を惹きつけた。彼こそが、栄光の巨人軍通算第1号本塁打を放つ者として相応しい。

 

1936年7月15日、彼の名前は歴史に刻まれ永遠に残ることとなった。

野球の神様の期待通り、1938年秋季にはプロ野球史上初の三冠王となり、野球殿堂入りも果たしている。

 

その後も野球の神様は仕事を続け、伝説の速球投手・沢村栄治の悲劇の死や大投手であるヴィクトル・スタルヒンが通算199勝で巨人を追われるなどといったドラマを描きつつ時代は進んでいく。

 

そして1956年、次の問題がやってきた。球団通算1000号本塁打を放つ者の名前を歴史に刻まなければならない。

立教大学長嶋茂雄早稲田実業王貞治という後の巨人を代表するスーパースター2人はまだ入団する前のこと。その中で、野球の神様が決めた選手は土屋正孝内野手である。

 

1954年に松本深志高校から投手として入団。松本深志高校は長野県屈指の進学校であり、彼はその中でも成績上位。愛読書はカフカや『世界文学全集』という一般的なプロスポーツ選手のイメージとは一線を画す選手だった。

打力を見込まれて入団後に野手へ転向すると、守備も評価されて3年目に三塁手のレギュラーを獲得。彼の前に三塁のレギュラーだった選手はハワイから来日していた柏枝文治内野手。1955年シーズンには巨人の第23代4番打者も務めた強打の選手であり、彼からレギュラーを奪った土屋内野手のすごさがうかがえる。

そしてレギュラーを獲得した1956年、土屋内野手は巨人軍通算1000号本塁打を放った。

この2年後に長嶋茂雄が入団し三塁から二塁へコンバートされることになるが、二塁でもベストナインを獲得し、日本シリーズで敢闘賞を獲得するなど活躍した。

 

そして長嶋茂雄入団の翌年、ついに王貞治が巨人に入団する。世界のホームラン王。野球の神様にとって、歴史に名を刻む上でこれ以上の適任者はいなかった。

1965年に球団通算2000号、1972年に球団通算3000号と2つのメモリアル本塁打を記録。

これ以前の1958年、ルーキー長嶋茂雄本塁打を放った際にベースを踏み忘れてトリプルスリーを逃す結果になったエピソードは有名だが、それが後のメモリアル本塁打へ向けた野球の神様の調整だったのかどうかは定かではない。

 

次のメモリアル本塁打は1978年。長嶋茂雄は既に引退していた。

それでも王や安打製造機張本勲がいる中、選ばれたのは柳田真宏(本名:柳田俊郎)である。

柳田は巨人の生え抜きの選手ではなく、1966年のドラフトで西鉄ライオンズに入団。2年目の1968年オフにトレードで巨人にやってきた。

V9後期の巨人で代打の切り札として活躍。その後1977年に登録名を柳田真宏に改名。この年、プロ11年目にして初の規定打席到達を果たし、「巨人史上最強の5番打者」と呼ばれた選手である。

彼は横浜スタジアムの開場第1号ホームランも記録しており、野球の神様に愛された選手だったのかもしれない。

 

そして球団通算5000号本塁打もまた野球の神様に愛された選手だった。なんと、投手の槙原寛己である。

2年目の1983年に一軍初登板で初完封を記録するなど12勝9敗1セーブで新人王。

1985年には甲子園の阪神戦でバース、掛布、岡田とバックスクリーン3連発を被弾。

それから9年経った1994年には完全試合を達成。今のところ槙原以降の完全試合達成者は登場していない。

1999年には阪神新庄剛志に敬遠球をサヨナラ安打とされるなど、数々の記録と記憶を残した選手である。

 

その記録の1つである球団通算5000号本塁打バックスクリーン3連発を被弾したのと同じ1985年。しかも、同じ阪神戦である。槙原にとってはこれがプロ生活で唯一の本塁打であった。

 

その後1992年には、プロ初打席で満塁本塁打という記録でも知られ、通算2000本安打も達成した駒田徳広が球団通算6000号、1999年にはルーキーで、後に日本シリーズMVP獲得など記憶に残る様々な活躍をする二岡智宏が球団通算7000号を達成している。

 

 

2000年代に入ると、巨人担当の野球の神様が変更されたとされる。

どうやら彼は「歴史に名を刻む」という作業が苦手なようであり、球団のメモリアル本塁打にそれが表れている。

 

2004年は球団通算8000号をタフィ・ローズ、2010年には球団通算10000号をアレックス・ラミレスと助っ人外国人が放った。

一説によると、歴史に名を刻む作業が苦手な2代目巨人担当の野球の神様が刻みやすい名前としてカタカナの選手を選んだという。

事実であれば怠慢とも非難されかねない話だが、ローズもラミレスも「NPB史上最強の助っ人」と呼ばれることがあるほど長期に渡り結果を残してきた名選手。これまでのメモリアル本塁打を放ってきた面々に見劣りしないだけの実力を誇っており、問題はなかった。

 

 

問題が起きたのは2017年9月26日である。

 

 

前日の9月25日、巨人は亀井善行が球団通算9999号本塁打。由伸監督になって以来初めての5点差をひっくり返すという野球の神様が心憎い演出を見せた試合でもある。そして26日の試合は本塁打が出れば球団通算10000号の大台という注目の試合になった。

これまでの流れでいけば、メモリアル本塁打は名前を刻みやすい外国人選手でケーシー・マギーが候補に挙がる。しかし、通算10000号は他のメモリアル本塁打よりさらに大きな意味を持つ。マギーがいくら実力者であっても生え抜きではない彼の名前を刻むことへの躊躇、そして3度続けて外国人選手の名前を刻んで怠慢だと言われないかという不安が野球の神様を襲った。

 

マギーでなければ阿部慎之助坂本勇人長野久義といった生え抜きのスターが候補に挙がるが、漢字を刻むことが苦手な野球の神様にとってはいずれも避けたい選択である。

そんな中、野球の神様は8年前のある出来事を思い出した。

 

 

2007年、平成生まれの選手が初めてプロに入団した。2007年に高卒で入団した選手は1988年(昭和63年)度生まれなので、本格的に平成生まれが多く入団したのは翌年の2008年である。

そして8年前の2009年は平成生まれのプロ野球選手が早い選手だと3年目を迎えていた。開幕時点で本塁打を放った平成生まれはまだいない。

2代目巨人担当の野球の神様は「平成生まれの初本塁打を放った選手」を歴史に刻む仕事も任されることになった。これは彼にとって何としても避けたかった仕事である。なぜなら必然的に日本人選手の名前を刻む、すなわち漢字を刻む必要が出てくるからである。

 

神様界の同僚からは高校野球界を騒がせた2年目のスラッガー中田翔を勧められた。なるほど、実力もある上に苗字の「中田」は刻みやすそうな漢字である。しかし、野球の神様は「翔」という漢字を刻むのが苦手だった。「羽」の部分を刻んでいると細かい部分が上手くいかず、発狂しそうになる。彼は何とか他の選手の名を刻もうと、平成生まれの選手を探し選手名鑑をくまなく見渡した。

その中で1人の選手の名を運命的に見つけた。彼の名は奇跡的な書きやすさだった。

 

野球の神様は彼の苗字を決めた明治時代あたりの誰か、彼の名前を決めたであろうこのプロ野球選手の両親、彼の名前の元になったであろうかつての甲子園スターで元巨人の内野手、そしてこのプロ野球選手本人に深く感謝した。これが、8年前の出来事である。

 

そして話を2017年9月26日に戻す。野球の神様は当時を思い出し、そしてその選手がちょうど巨人の生え抜き選手であったことにこれ以上ない感謝を抱いた。あの刻みやすさ。もう球団通算10000号は君しかいない。

 

君の名は――

 

 

 

 

中井大介

 

 

 

 

その名前は、巨人の球団史に永久に刻まれることとなった。

 

 

 

 

あのなあ中井、名前の書きやすさで勝ち取った名誉は嬉しいか?????

 

お前、あれだろ。昨日スタメンだったのも、というか今まで由伸にスタメン起用されてきたのも全部、「俺の名前、オーダー表に書きやすいっすよ笑」ってアピールしてきたからなんだろ???????

 

まあ中井がホームランを打ったこと自体は素晴らしい。2009年に平成生まれの1号本塁打を放った時、確かに皆が君に期待していた。

 

でもなあ、どうせまた今日から足を引っ張るんだろ??????

来年も由伸に無駄に重用されて、しょうもない打席を連発するんだろ?????

 

巨人の二軍選手に比べればパンチ力はあるかもしれないが、それでも中井は200打席も与えられるような選手じゃない。それは今年の結果が物語っている。

守備だって一塁手としては優秀ってだけなのに何故かセカンドやレフトで起用される。

 

これはもう巨人担当の野球の神様と由伸が中井(の名前の書きやすさ)を好きすぎるからどうしようもないのかもしれない。

ならば、適切な使い方をできる球団に移籍してほしい。一塁の守備固め兼たまに右の代打で使えばそこそこ優秀なので。由伸みたいな使い方をする監督じゃなきゃ地味だけど邪魔しない程度の選手だと思う。

 

「巨人の開幕投手」という栄光を手にした東野峻がトレードされた(僕は東野が好きだったのであれは悲しかった)ように、「巨人軍通算10000号本塁打」を引っ提げて中井が他球団に放出される日を楽しみに待ちたいと思います。

 

今回はこのへんで。ここまで読んでいただきありがとうございました。

ではでは。